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ふかつたかゆき-深津貴之さん



ふかつたかゆき-深津貴之さん
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  • 佐野研二郎
  • 五輪エンブレムデザイン問題

  1. どこかのニュース記事を見ていたら五輪エンブレムのデザインに関する話題の投稿記事の紹介があった。例のベルギー美術館のロゴデザインと五輪エンブレムデザインに関する深津貴之さんの考察記事。プロデザイナーの味方と言うものを一般の人にも理解できるように解説して結論はプロは2つは似ていないと考えるのだということらしい。
  2. 佐野研二郎の人間性や他の盗作問題、デザイン選定プロセスなど関連する議論も多いがそこには踏み込まない態度の投稿記事だが、コメントは全方位的で炎上とは別の意味で盛り上がっている。だから全部のコメントを読み通すのはギブアップするしかない。同じような繰り返しのやり取りもあるし、コメントしている人同士のバトルもあって面白い一方で不毛感も漂う。
  • プロのデザイナーと一般の人を分けている:
  1. プロのデザインに対する見方・考え方の一端が紹介されて面白い。
  2. その考え方に従えば両者には違いがあるということだが、だからと言ってプロデザイナーが両者は似ていないと考えるかどうかは別問題でしょう。
  3. 一つは似ているとして問題を指摘し訴訟するベルギー側もプロのデザイナーであり、佐野を批判する日本のプロのデザイナーも存在する。
  4. プロであればこそ、ベースとなるフォントを変えたり、基調となる図形を変えたりすれば、容易に(プロの目には)違ったもののようにデザインすることができることを知っているのだから、盗用しておいても似ていないような要素を簡単に変更できるのだから、深津貴之さんが示す根拠は極めていい加減であることが分かる。
  5. 要するには、深津貴之さんの似てないとする根拠を利用すれば誰でも容易にパクリが成立することになる。氏の主張は破たんしていると見た方が正しいだろう。
  6. 最も驚くことは、ベルギー側が主張する図形の重要な部分が同じように見える基本的な類似点の評価が十分できていないこと。詭弁と非難を受けて当然だろう。実態は、「デザインの重要な部分で似ているが、プロの目でみれば違いも多く見つけることができる」ぐらいのものでしょう。
  7. 深津貴之さんが示したのは図らずもプロのパクリの手口ではないだろう。良いアイデア、デザインを発見したら、トレースして、デザインパーツの基調となる分部に手を加えて、それらしいコンセプトや制作プロセスを作り足しておけば後はどうにでもできる。プロ仲間の間ではOKなのだと。
  8. 氏はコミュニケーションなどとまた得体のしれないものを持ち出しているが、 後付けで作ったシナリオ、アイデアノート、制作ノート、コンセプトなどを細かく説明されても意味がないことを示してくれたようなものだ。コミュニケーションもまた偽りの上に成立させることができる。
  9. プロのデザイナーと一般人を分けて深津氏が主張できたのは、デザイナーは技術的な違いを見つけることができる。技術的に違えることで似ていないと主張することができる。一般人が似ていると感じる部分の考察は不十分な印象だから片手落ちになっているし、そのことで氏を非難するコメントが付くのは当然のことだ。「木をみて森みず」 かな。
  • 似ていないと考えるデザイナーは本当に多いのか?
  1. 統計を取った訳ではないから単なる自分の意識の及ぶ範囲での印象を言ったものだろう。
  2. デザイナーは似ていないと考えないと商売に差しさわりが出ることも似てないと主張せざるを得ない要因になる。極端に言えば、ほんの少しでも違いが明確なら似ていないと言うことにしないと飯を食えなくなる。似てないと考えるのは立場の問題に過ぎない。
  3. 試に彼らに似たものを探せと言って、何枚かのデザインの中にベルギーのものを入れて置いたら、やはりベルギーを探し出してくるかもしれない。 その時に似ている根拠を説明させることもできるだろう。コンセプトも何も無くても似ているものは探し出せる。外すデザイナーがいたら変人デザイナーでコミュニケーションのとれないデザイナーだ。
  • コミュニケーションとかコンセプトとかは本当に大事か?
  1. 悲しいデザイナーにしか見えない。独創性の高いものをいくつも作れるわけでない。だから理屈を考えて、説明して、共感を得て、具体化していくプロセスが大事になる。クライアントの好みなど分かる訳ないから手順を踏むことでリスク回避が図れるという訳だ。普通にデザインを委託すると能書きばかり並べ始めるデザイナーは少なくない。
  2. でも出来上がったものが魅力的かどうかは全く別の話。大層な説明をしてくれてアウトプットはこれなの?と思うことは普通。10回に1回ぐらいは満足できるレベルのものが来る。他の9回は受け入れ否定しても能書きを繰り返すだけで出て来るのはヤケクソみたいな作品。面白いのはクライアントの意向に沿うデザイナーと突っぱねるデザイナーの2種類あること。是非は分からない。デザインの好き嫌いは分かるが善し悪しは分からないからだ。
  3. 途中経過とか技術手法などは、出来上がった作品の良さ・独創性とは関係ない。出来上がったものが先人の作品に似てしまったら、デザイナーとしてはそれで負けでしょう。デザイナーにとっては気の毒な事態だが受け入れるべき。深津氏は他のデザイナーもそうなんだろうが、一生懸命に作り出した作品に先人がいたら不幸であり認めたくないだろうが、技術屋の特許にしても同じことだ。「アウト」の宣告を回避するための姑息を並べたのが投稿の主旨と見られても止むを得ない。
  4. 結論としては、コミュニケーションやコンセプト以上に結果が大事。コミュニケーションやコンセプトは優れたデザインを保証するものは無い。そこへ逃げたら敗北。
  • 深津貴之氏について
  1. 深津氏は誰にも丁寧に接しているので好感が持てる。若い彼が忙しい中では容易ではない筈だが、称賛したいくらいだ。かれが奇しくもデザイナーと一般人に示したことは誠実は人を助けるということだ。氏を悪い人間と思う人は少ない。
  2. 半面、誠実さのかけらも見せない佐野研二郎が悪役になるのは早かった。 当然だ。傲慢に見える佐野の存在は、極端に言えば自民党政治に不満を持つ人にとって格好のターゲットになったはずだ。組織委員会は佐野の人間としての問題を利用してスケープゴートにした印象もある。


http://twinavi.jp/topics/news/55ed5ffc-0a30-4ffc-a057-3b8eac133a21


「デザイナーの『ごまかし』 本当に「五輪とリエージュのロゴは似てない」か?」

こちらの投稿も人気だそうです。後で訪問してみましょう。

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この記事では深津氏の主張を誤魔化しと一蹴しています。まったくその通りです。こちらの方が自然な主張の展開に見えます。

だって、深津氏は似ているものを適当な理屈で似ていないとやっているだけでのことで、詭弁にもなっていないでしょう。



「似てないと考えるデザイナーが多い」のは本当かな?。データで物を言えと教育された人も多い筈だが、この人はサラリーマンの経験もないんだろうな。ベルギーでは「似ていないと考えるデザイナーが少ない」で記事が上がっているのかな。この辺の出任せは勝手でしょう。正しくは「似てないと考えるデザイナーが存在する」と言うことでしょう。これなら一人でもいればセーフ。

似ている、似ていないの定義は?。これも示されていない。一致率何%以上とかやらないと駄目でしょう。デザイン要素のデカルト的展開はデザイナーは得意なんじゃないか。

定義も曖昧なまま、知っていることを書いてみました、ですか。それはそれで結構だけど、笑われて「ハイ、御仕舞い」じゃないの?。

でも世間はやはり面白い。氏の主張に賛同する連中も少なくない。

誠実そうな人柄が白黒を変えることができる。人間社会ってそういうもんでしょう。